永尾俊彦著
『干潟の民主主義〜三番瀬、吉野川、そして諫早〜』
中山敏則
・著 者:永尾俊彦 ・書 名:干潟の民主主義─三番瀬、吉野川、そして諫早─ ・発行所:現代書館 ・価 格:2700円
今年(2001年)8月に刊行された本書は、干潟や海に深くかかわって生活している人たちの本音や、干潟の保全をめぐる開発側と保全側の攻防、あるいは、それにまつわるさまざまなドラマを描いた力作である。ルポライターの永尾氏がこれまで『週刊金曜日』『論座』『世界』『サンデー毎日』『生活と自治』などで発表したルポや記事を加筆して構成した。
副題にあるように、本書は、第1部「三番瀬──干潟の平和」、第2部「吉野川と河口干潟──川の民主主義」、第3部「諫早干潟──干潟の革命」の3部によって構成されている。
■「もうこれ以上東京湾を痛めつけないでほしい」
第1部では、まず、東京湾三番瀬で漁業をつづけている漁師の仕事ぶりや生の声がくわしく紹介されている。そのうちの一人は23歳の漁師、宇賀山亮さんだ。この若い漁師が大自然そのものを相手に、誇りをもって漁をつづけていることを紹介し、著者はこう書いている。
「京葉工業地帯の中枢部のすぐ沖合で、いまも漁業が続けられている。これだけ埋め立てられ、痛めつけられているのに、それでも海はまだかろうじて漁業ができる環境を保ってくれている。『オレなんか先があるでしょ。海、いこうとしてる人間でしょ。だから自然は残しとかなくちゃいけないよね』。宇賀山さんのような将来のある漁師のためにも、もうこれ以上東京湾を痛めつけないでほしいと願わずにはいられない」ここには、もうこれ以上海を痛めつけたり、埋め立てたりしないでほしいという著者の思いがしっかりこめられている。
1950年代以降、千葉県の東京湾岸がかたっぱしから埋め立てられていったことについても、そのいきさつなどをたくさんの関係者から取材してくわしく書いている。首都圏に位置する東京湾の海が金もうけの手段としてねらわれ、朝日土地興業や三井不動産などが埋め立てで暴利をむさぼったこと。こうした暴利獲得に県や市が積極的に荷担したこと。──などである。
他方で、1970年代から埋め立てに反対する運動が起こり、次第に広がっていったことも書いている。「埋め立ては海殺し」「干潟は天然の浄化槽」などと言い、干潟保全の大切さを訴え続ける大浜清・千葉の干潟を守る会代表の経歴や活動を紹介し、次のように書いている。
「もし、『守る会』などの自然保護団体の運動がなければ、その辛くも残ったわずかな干潟すらとっくに埋め立てのえじきにされ、東京湾から干潟が完全消滅していたであろうことは想像にかたくない」このほか、三番瀬にかかわる問題として、これまでの千葉県政がなぜ埋め立て開発に固執してきたかについてもふれている。たとえば、沼田前知事の政治資金管理団体「清沼会」が、1997年度だけで、ゼネコン、不動産、銀行などの約180の法人・団体から約4600万円の寄付をあつめていることなどを紹介し、こう述べている。
「沼田知事に代わって新知事に就任した堂本暁子さんは、三番瀬埋め立て計画の『白紙撤回』を公約したが、この公約を実現するためには、戦後半世紀にわたって千葉県政をむしばんできた宿痾(しゅくあ)とも言えるこの『経済原理』と闘わなくてはならない」まったく同感であり、堂本新知事にも本書をぜひ読んでもらいたいと思う。
■吉野川可動堰の住民運動を鋭く分析
第2部は、吉野川可動堰問題をめぐるさまざまなドラマである。
2000年1月、吉野川第十堰可動堰化計画の是非を問う住民投票がおこなわれた。この住民投票で、自然保護運動は圧倒的多数の反対という結果を建設省に突きつけた。そして同年8月、ついに政府与党に「可動堰計画は白紙に戻す」と言わしめた。これは、その後の公共事業を見直しの方向へと大きく転換させて画期的な出来事であった。
本書は、この運動がどのようにすすめられたかをくわしくレポートしている。姫野雅義さんたちが、長良川河口堰運動などの教訓をしっかりくみとり、住民自身が変わっていける運動をつくりあげたこと。「ダム・堰にみんなの意見を反映させる会」という名の市民団体をたちあげ、「八百長」がわかっていた「ダム等事業審議委員会」を全否定するのではなく、住民が河川行政にかかわっていく場に変えていくということを追求したこと。建設省の「堰上げ」水位計算を検証するために、姫野さんが2年間、図書館に通い、河川工学や水理学を勉強したこと。住民投票を阻止しようとする建設省や徳島県、徳島市、商工会などの策謀を、徹底的して市民を信頼し、情報は提供するが賛否は押しつけないという、まるで選挙管理委員会のような公正な運動で正々堂々とうち破ったこと──などである。
こうした運動の分析はたいへんすぐれており、全国各地の自然保護運動にとって貴重な糧となるものである。
■故山下弘文さんの壮烈な生きざまを描く
そして第3部は、諫早湾の干拓や閉め切りをめぐる攻防やドラマである。
とくに感動的なのは、日本の干潟保全運動に大きな影響を与えた故・山下弘文さんのすさまじい生きざまである。山下さんは幼いころ、肺炎をこじらせて脳膜炎に近い症状となった。父親の山下仙十郎さんは、入院先の医者から、「治っても“低脳児”になるのだから、この子は死んだほうがましだ」と言われた。怒った父親は、山下さんを退院させ、自宅で毎日、盃一杯のコイの生き血を飲ませるなどして看病したそうである。
このほか、勤務先の水族館で第一組合の職員を辞めさせようとする事件が起きると、徹底的に理論武装し、たった5人だったが、第二組合との闘争に勝って職場を確保したこと。胎児性水俣病の患者たちに出会って衝撃を受け、反公害・反開発の闘いを自分の一生の仕事にしようと決意し、長崎県内の開発計画をことごとくたたきつぶし回ったこと。社会党の社会主義協会(向坂派)に属していたが、建前と本音を使い分ける協会の姿勢にがまんができず、独自組織をつくってデモをやり、協会を除名されたこと──などである。この除名について、著者はこう記している。
「先端的で戦闘的であるがゆえに突出してしまい、『少数派』『異端』にならざるをえないという、その後の山下さんの運動にもつきまとう特徴が、この頃からあらわになる」諫早湾をつぶす開発計画に断固反対し、長崎県や農林省の隠蔽工作や不正を暴き続ける山下さんにたいして、行政は買収策を講じた。造成される干拓地6ヘクタールを無償で提供する。県水産試験場や公害研究所に職員として採用する。3000万円出すから開発反対をやめてくれ──などという条件話である。もちろん、山下さんはこうした買収工作をきっぱりことわり、逆に、それを暴露した。
こうした山下さんの波瀾に富んだ人生や生きざまは、自然保護運動だけでなく、主体性をもった生き方をめざしている者にとって勇気や励ましをあたえてくれる。たとえば、国立感染症研究所の実験差し止め・再移転裁判(バイオ裁判)の住民運動を先頭に立ってすすめられ、今年3月に胆管がんで亡くなられた芝田進午・広島大学名誉教授は、自著『人生と思想』(青木書店)の中でこう述べている。
「いつの時代にも、真理は“異端”として提起され、ついで少数意見になり、やがて多数意見になってゆくのである。この点で、哲学を学び、理論的研究に志す者は、自分が“異端”として非難され、“少数者”とみなされることをおそれてはならない」山下さんの生きざまは、まさにこのようなものであったと思う。
■問題の本質を的確にとらえている
最後に、著者の永尾さんは、「あとがき」のなかで、三番瀬問題についてこう述べている。
「わたしたちは高度経済成長の時代から続く『環境ダンピング』という思想とまだ訣別できてはいない。たとえば千葉県は、三番瀬で何とか新しい埋め立ての論理を編み出そうとしている。今年4月に千葉県の新知事に就任した堂本あき子さんは、三番瀬の埋め立て計画の白紙撤回をほとんど唯一の公約にして当選したのに、『里海』『里浜』の再生のためと称する埋め立てを否定していない。この論理がやっかいなのは、高度経済成長時代のように干潟を埋め立てて工業地帯をつくることが善なのだという露骨な自然破壊肯定の論理ではなく、逆に『自然修復のため』という一見反対しにくい『洗練された』衣装をまとっていることだ。しかし、抜群の浄化能力を持つ干潟をつぶして自然の『再生』『修復』とは、倒錯した論理だ。真の自然の保護とはどういうことなのかが、いま特に三番瀬では問題になっている」これは、いま三番瀬で何が問題になっているかを的確にとらえたものである。問題の現場に足繁く通い、たくさんの関係者から生の声を聞き取り、そして問題の本質を的確に把握する著者の姿勢や能力には感服するばかりだ。
この本は、自然保護運動のみならず、さまざまな運動にかかわっている人たちにとって、まさに必読の書といえる。
(2001年8月)
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