町田和信著
『ドキュメント 志賀高原・岩菅山の2000日
中山敏則
・著 者:町田和信 ・書 名:ドキュメント 志賀高原・岩菅山の2000日 〜冬季オリンピックと自然保護〜 ・発行所:新日本出版社 ・価 格:1500円
1991年に出版されたこの本は、志賀高原岩菅山(いわすげやま)の開発をめぐり二千余日にわたってくりひろげられた論議と運動をまとめたものである。著者の町田氏は、長野県自然保護連盟の初代理事長を務めた方だ。
●突然、滑降コース新設の計画
1985年に長野冬季オリンピックの招致活動がはじまり、1987年12月に突然、スキー競技の滑降コースを志賀高原の岩菅山に新設するという計画が発表された。志賀高原は、すでに22カ所ものスキー場が開発され、全国一の規模のスキー場となっていた。スキー場や関連施設の開発にともなって、自然も大規模に破壊されていた。こうしたなかで、岩菅山は、手つかずのまま残された貴重な自然となっていた。長野県自然保護連盟が県知事あてに提出した要望書は、岩菅山を開発せずに残すことの大切さについて次のように述べている。
「今や日本ばかりでなく、世界においても手つかずの自然地域は極めて少なくなり、貴重な存在になりつつあります。そうした豊かな原生的自然の持つ価値は今後貴重なものとして見直され良好な環境資源として、また観光資源として、ますます重要なものとなるでしょう。(中略)岩菅山の東斜面は魚野川の流域であり、そこは林道はもとより登山道もない文字どおりの秘境であり、全くの原生林地域であります。この一帯1万ヘクタールに及ぶ広大な全く手つかずの大原生林地帯というのは、自然の比較的豊かな長野県下においても他に類をみません。又広く、日本全体を見ても、トップクラスといえます」
●岩菅山開発を断念させる
こうした視点から、連盟などは、岩菅山での滑降コース新設をやめさせるためにさまざまな運動を展開した。主張点は、「原生林の山を破壊してまでスキーの滑降コースを造るべきではない」「競技コースの開設や施設の設置にあたっては、新規の開発をせずに、既存施設を活用することによって自然環境への影響を避けるべき」などというものだ。著者は、「岩菅山を中心とする志賀高原の自然環境を科学的に調査・研究し、岩菅山の自然を守る重要性を明確にして、地域住民をはじめ、県民、国民によびかけ、その世論を高めるために、シンポジウムの開催やパンフレット、よびかけビラの普及、声明やコメントの発表、招致委員会や長野県、JOC、環境庁、文部省などへの要請などの運動をねばり強くつづけた」と書いている。
しかし、この運動は長野オリンピック招致大合唱に逆らう性格をもっていたために、かなりの重圧を受けたという。「連盟役員に対する職場を通じての、この運動へのしめつけ」などもあったそうだ。しかし、ひるむことなく運動をつづけた結果、全国の自然保護、山岳団体などが岩菅山開発反対行動で連帯し、協力・共同する行動も生まれた。
こうした運動によって多くの県民の支持を得ることができ、ついに1990年4月、「岩菅山開発断念」を勝ち取った。岩菅山でのコース新設をやめさせ、滑降コースを既設スキー場に変更させたのである。
オリンピック招致運動にたいして批判的な言動が許されないような状態のなかで岩菅山開発を断念させたこの運動は、自然保護運動の進め方などにおいて多くの教訓を与えている。たとえば、著者は岩菅山開発を推進する側がもちだした「開発と保護」という調和論を批判しているが、これは三番瀬保全などに対しても示唆を与えるものだと思う。著者はつぎのように述べている。
「招致運動の特徴は、『自然との調和』をアピールし、その後、連盟などの主張を受けとめた形で『自然保護に最大限留意』などを運動の理念として掲げるようになった。(中略)これらの考えの根底は、いかに重要な自然環境地域であろうと、技術的に対応するか、規模を縮小すれば開発しても良いというものにほかならず、本来の自然保護とは基本的に相容れないものである。連盟が、『県調査委員会』や『自然保護専門委員会』が出した条件つきの“岩菅山開発”に対して原則的に妥協しなかったのはそのためである。開発した後に保護・管理すべき地域と、岩菅山のようにもはや開発の手を加えてはならない地域は明確に区別した対応が不可欠である。また、原生林は保護保存の対象であっても、岩菅山滑降コース予定地のように、一度伐採した二次林などは開発行為が当然であるという風潮が支配的な状況の中で、たとえ二次林や雑木林であっても、地域と場所によっては、厳格に保護していく必要があることを社会的に明らかにした運動であった」
◇ ◇
ちなみに、以上の岩菅山保護運動に対しては、オリンピックそのものに反対する側から批判もだされている。つまり、県自然保護連盟などは岩菅山の保護とひきかえに自然破壊をもたらすオリンピックを推進する立場にまわった、というものである。たとえば江沢正雄著『オリンピックは金まみれ──長野五輪の裏側』(雲母書房)がそうだ。江沢氏はこう書いている。
「オリンピック招致委員会による環境問題は、岩菅山滑降コース問題のみに矮小化されていった。(中略)もし本当に岩菅山の自然を含めて長野県の自然を守ろうというのなら、岩菅山開発反対の委員も自然保護団体も、なぜ破壊をもたらす原因となるオリンピック招致そのものに反対の声をあげなかったのだろう」このような批判があるとはいえ、町田和信氏が書かれた同書は、前述のように、自然保護運動に対して多くの教訓を与えてくれる本だと思っている。
(2001年12月)
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