★大規模開発の実態をみる


 東京ディズニーランドと埋め立て利権


開発問題研究会



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1.華やかさの裏に利権疑惑

 “夢と魔法と冒険の国”東京ディズニーランド(TDL)は、この4月15日に開園17周年を迎えた。この間の入場者は約2億5000万人で、これは日本の総人口の2倍にあたる。不景気にもかかわらず年間1600万人以上の入場者を集めているのだから、TDLの人気のすごさがわかるであろう。
 しかし、「すごいな」とばかりは言っておれない。1986年12月6日付けの朝日新聞が書いたように、ディズニーランドは、つねに、「華やかさとは裏はらに、土地と政治が絡んだ“疑惑”が取りざたされて」きたのである。また、TDL関連用地の転売でボロ儲けを得ていた三井不動産がTDL建設に否定的な姿勢を示したことに激怒し、同社の許認可事務をすべてストップした川上紀一県知事(当時)が、“ニセ念書事件”で辞任に追い込まれたこともある。「もし、現在の沼田武県知事が当時の知事であったならば、ディズニーランド計画は中止になっていただろう」と言う県庁関係者もいる。また、地元・浦安市がディズニーランドの近くに建設を予定していた墓地公園と運動公園が、単なる一企業でしかないオリエンタルランドのクレームや要求によって、計画変更や形状変更を余儀なくされたという問題もある。さらに、TDL内では、アルコール類はいっさい禁止のうえ、弁当の持ち込みも禁止というように、一般客に対してはたいへんきびしい規則があるのに、他方では、スポンサー企業や関連企業の関係者、そして政治家や行政官僚だけが利用できる“秘密クラブ”が園内にあって、そこでは世界各地の酒や高級料理が安い値段で飲み食いできるという運営もされている。
 このように、TDLの裏側には、県から安く払い下げられた土地の転売や、それにからむ利権政治など、さまざまな問題がある。だが、こうした実態は県民にはほとんど知られていない。なにしろ、県から安く払い下げられた土地の切り売りで経営がなりたっている遊園地なのに、その土地の転売事情などをくわしく知っているのは県庁内でも沼田知事しかいない、といわれているほどなのである。
 そこで、新聞・雑誌記事などを手がかりとして、TDLをめぐる諸問題をとりあげてみた。




2.人気の秘密は広大な埋立地

 年間1600万人以上の入場者を集めるほどの人気の秘密はなにか。この問題をマスコミなどがいろいろととりあげてきた。
 たとえば1987年1月10日付け毎日新聞の「おとぎの国のヒミツ」は、スペース・マウンテンや蒸気船マークトウェイン号のからくりなどをとりあげ、「夢」と「楽しさ」をいっぱい味わえるのが「人気のもとらしい」としている。また鶴蒔靖夫氏は、『ディズニーランドを裸にする』(INS通信社出版部)の中で、「東京ディズニーランドの成功は、通常の遊園地のように没個性的でないということ、通常の生活の場とは隔絶した世界を作ったこと、それにオーディオ・アニマトロニクスという先端的技術を導入したことといったところにあった」と書いている。
 これらはマスコミなどにおける大方の見方であって、そのこと自体に異論はない。だが、肝心な点をみおとしている。それは、TDLの敷地となっている広大な埋立地の存在である。
 オリエンタルランドは、103.8万坪の広大な埋立地(県有地)を県企業庁から格安の値段で手にいれた。この土地は巨大都市東京の中心部から約10キロという至近距離にある。仮に、この土地が東北や九州などにあった場合は、年間1600万人以上の客が入るであろうか。あるいは、県がオリエンタルランドに払い下げた土地が、実際にTDL用地として使われている25万坪だけだったら、TDLの経営はなりたったであろうか。そのことはあとでくわしくふれるが、否である。そもそも米国ディズニー(ウォルトディスニー・プロダクション)社が、現在の場所にディズニーランドを建設することを承諾するにいたったのは、東京に近く、しかも広大な土地が安く確保されており、おまけに関連土地の転売利益をディズニーランドの経営につぎこむことができるということを確認したからであった。つまり、当該地にディズニーランドを建設すれば、ディズニー社も安定的で多額の利益を確保できるという判断があったからである。事実、オリエンタルランドは、米国ディズニー社とロイヤリティーフィー(使用料)として入場料の10%、商品売り上げの5%を45年間払いつづけるという「幕末の通商条約なみの屈辱的な条約」をむすんでいる。このために、100億円以上の金がディズニー社に毎年ころがりこんでいる。このようなことは普通の企業では考えられないことである。しかしTDLの場合は、経営が赤字になっても、県から安く払い下げられた土地の転売利益で赤字を補てんできるという保証がされたから、「屈辱的な条約」をむすぶことが可能だったのである。
 以上から、TDLの人気の秘密を要約すると、つぎのとおりになる。
  1. 巨大都市東京の都心部から10キロの位置にあり、半径100キロ以内に約3000万人が住むという非常に有利な立地条件に恵まれた。
  2. TDLの経営のために、約104万坪という広大な土地(県有地)が格安の値段で与えられた。
  3. 本場(米国)のディズニーランドとそっくりの施設・技術をもちこんだ。
 したがって、もし i と A の条件がなかったならば、今のTDLの成功はなかったといってよい。この点は、オリエンタルランドの加賀見俊夫・現社長みずからがこう語っている。
 「(TDL成功の秘訣は)3つある。まず立地条件です。東京駅からJRで12分のところに190平方メートルという広大な敷地。しかも半径100キロに3000万人が住み、ディズニーの客層にマッチしている。世界中探しても、こんな好立地はない。第2は提携先のディズニーのノウハウ。3番目は社員全員が素人集団でゼロからスタートだったこと。徹底した研修が出来たし、一丸となることが容易だった」(藤井剛彦『東京ディズニーランドの魔術商法2000年版』(エール出版社)




3.土地転がしで三井不動産などが大儲け
     〜払い下げ価格の数十倍の値段で切り売り〜


(1) 埋立地を造成原価で取得

 さて問題は、華やかなディズニーランドの裏側でおこなわれた土地転がしである。
 1962(昭和37)年7月、千葉県とオリエンタルランドの間で、「浦安地区土地造成事業および分譲に関する協定書」(以下、「分譲協定書」と略す)がとりかわされた。この協定書にもとづき、浦安地の海面260万坪(874ヘクタール)の埋め立てが、大遊園地や住宅団地などの造成を目的としてすすめられた。埋立工事は1964年に始まり1970年に完成した。埋立免許は県が取得したが、「分譲協定書」により、漁業補償金の支払いや造成工事はオリエンタルランドが請け負った。いわゆる「千葉方式」(正確には「自社埋立方式」)である。
 そして、造成された土地のうち103.8万坪が、1970年から1977年にかけて県からオリエンタルランドに譲渡された。103.8万坪の内訳は、遊園地用地として63.8万坪、そして「遊園地建設資金確保」のための住宅用地(転売可能地)として40万坪である。譲渡価格は造成原価(つまりオリエンタルランドによる漁業補償費、工事費立て替え分)であり、1坪あたり1万6688円(1平方メートル5000円)という安さであった。







(2) 住宅用地40万坪の行方

 オリエンタルランドは、この土地をどうしたか。まず、住宅用地40万坪についてみてみよう。同社は、40万坪のうち約23万坪を親会社の三井不動産と京成電鉄に坪単価4万5000円で売った。そして8万坪を日本住宅公団やマンション業者などに坪4〜79万円で売った。小川国彦氏(現・成田市長)によれば、これらの転売でオリエンタルランドは400億円もの利益を手にした、という(「東京ディズニーランドの怪」『文芸春秋』1983年4月号)。
 同社は、残りの9万坪のうちの1.3万坪を、1987年に不動産業者に売った。この土地はJR京葉線(翌年開業)の舞浜駅にも近く、売却価格は約200億円であった。坪単価は約150〜200万円で、オリエンタルランドが県から取得した価格のじつに100倍である。
 一方、子会社のオリエンタルランドから23万坪を購入した三井不動産と京成電鉄は、この土地を全部転売した。まず、11万坪を坪単価9〜14万円で日本住宅公団に売却した。そして残りの12万坪については、坪50万円以上という高い値段で一般庶民むけに住宅地として分譲し、ボロ儲けをした。たとえば、京成電鉄が「パークタウン」という名で分譲した建売住宅の価格は、バブル時期には1区画(敷地面積50〜55坪)が1億円を超えたといわれている。また、三井不動産が分譲している住宅地の価格も同じである。こうして、三井と京成は子会社のオリエンタルランドから“横どり”した土地の転売で500億円以上の利益をあげた(前出「東京ディズニーランドの怪」による)。
 ここで重要なのは、以上の23万坪の転売で三井不動産などが得た利益はTDLの建設資金には「ほとんど回らず消えてしまった」(栗田房穂ほか『ディズニーランドの経済学』朝日新聞社)ことである。TDLの建設費1581億円のうち約500億円はオリエンタルランドの自己資金とスポンサー料、残り1000億円余は22の銀行からの借金である(毎日新聞、83年3月8日)。また、オリエンタルランドの資本金はわずか30億円でしかなかったのである。ではいったい、住宅用地23万坪の転売で三井不動産と京成電鉄が手にいれた莫大な利益はどこへいったのか。
 この点は、三井不動産やオリエンタルランドなどを擁護する立場で書かれた加納靖久著『東京ディズニーランドの真相』(近代文藝社)の中でも、三井不動産や京成電鉄の「宅地開発による利益は株式会社への配当、あるいは負債の返済に充当され、ランド社に還元されることはなかった」と記されている。
 この点については、自民党県議の中からも批判が出された。たとえば、同党の八代重信県議は、1985年12月県議会の一般質問でつぎのように述べ、県当局の姿勢をただした(『昭和60年12月千葉県定例県議会会議録』より)。
 「オリエンタルが本当にバランスのとれた健全企業であるかといえば非常に疑問である。オリエンタルの借金は1300億円を超えており、支払い利息の圧迫に耐え続けているとのことであるが、オリエンタルの親会社であるところの、三井不動産と京成電鉄はこれに何一つ援助の手を差し伸べようとしてこなかったのが実情であります」
 「三井と京成電鉄の両親会社は子会社のオリエンタルを助けるどころか、子会社の利益を吸収してきたのであります。言葉は悪いが……オリエンタルのひもが三井であるし、それから京成であるわけでございます。ところが公有水面住宅用地のうち約23万坪は原価の坪当たり4万5000円で買い上げ、三井不動産と京成電鉄はこれで巨額の利益を稼いで、これを出資金に回しておるわけでございます。オリエンタルが現在所有している遊園地用地は、すべて公有水面土地と聞いておりますので、再びこのようなことが起きないよう県は十分監督指導すべきであるがどうか」
 だが、これに対する沼田知事の答弁は、「オリエンタルランドの用地は公共的な性格を持っている土地であるということの御指摘は、そのとおりだと思いますし、そういう意味で県も今後十分監督をしてまいりたいというふうに考えておりまして、オリエンタルランドの用地が本来の目的のために使われるように指導をしてまいりたいというふうに考えているところでございます」と、お茶をにごすものであった。


(3) 遊園地用地63.8万坪の行方

 こんどは、オリエンタルランドが県から遊園地用地として取得した63.8万坪についてみてみよう。
 「分譲協定書」では、63.8万坪のすべてを遊園地として利用することが明記されていた。ところが、TDL開業時の利用状況はつぎのとおりであった。

    ディズニーランド  15万坪
     駐車場       10万坪
     周辺開発用地    7万坪
     未利用地      31万坪

 みられるように、じっさいに協定どおりに利用したのは、駐車場をふくめた25万坪だけであった。したがって、残りの38万坪はただちに県が譲渡価格(坪1万円余)で買い戻すべきであった。
 しかし、県は買い戻しはせず、逆にTDLの経営資金のあてさせるという名目で、1980年に用途制限の解除を認めた。つまり、TDLの経営が「苦しくなった」場合には、県の承認を得て住宅用地などとして転売してもよいことにしたのである。
 じっさいに、オリエンタルランドは、県の承認を得て1984年3月から85年までに3回にわたり、周辺開発用地7万坪のうち6万坪をホテル業者などに472億円で売却した。平均の坪単価は約80万円であった。
 ここでつけくわえると、遊園地用地63.8万坪は、「分譲協定書」で県の承認なしに第三者へ譲渡することが禁止されていた。が、オリエンタルランドはその一部を協定に違反して県に無断で三井不動産などに転売した。1970年、遠山偕成(不動産業者)に1.5万坪を坪5万円で、1973年には三井不動産と京成電鉄に6万坪を坪4万円で。だが、これらの違反転売については、1975年に新しく県知事になった川上紀一知事の指示によって、1980年に売買契約が解除させられた。
 さらにつけくわえると、オリエンタルランド、三井、京成による土地転売利益のうち、かなりの額が中央や県の政界へ流れた、といわれている。たとえば、たまたま1980年のダブル選挙の選挙違反事件の捜査過程で、オリエンタルランドが自民党県連幹事長に領収書もとらずに500万円を与えていた事実が判明した。しかしこれも、氷山の一角にすぎない、といわれている。たとえば小川国彦氏(前出)はこう言っている。
 「55年のダブル選挙の時に、自民党県連の幹事長にオ社から500万円の献金があったことが報道されていますが、他にも、選挙のたびに、500万、1000万といった単位のカネが流れているといわれています。また“××先生を励ます会”といったパーティの券をオ社がまとめ買いしているというウワサもある」(『週刊新潮』83年9月8日号)


(4) 三井不動産はTDL建設に消極的だった

 ところで、遊園地用地(63.8万坪)の埋め立ては1970年に完成した。しかし、TDLが実際に開業したのは13年後の1983年である。なぜオープンが遅れたのか。その最大の理由は、三井不動産がTDLの建設をしぶったからである。
 この間のいきさつについて、県庁関係者はこう語っている。
 「ディズニーが軌道に乗ったいまだから話しますがね、三井不動産には何度も煮え湯を飲まされましたよ。交渉のたびに足を引っ張られるんだから。最初から三井はやる気ないんです。ディズニーみたいに金のかかる計画はつぶして、もっと安上がりな遊園地でもつくって、あとは土地で儲けようってハラじゃなかったんですかね」(『週刊文春』1983年9月8日号)
 三井不動産がTDL建設に消極的だったことについては、オリエンタルランドの高橋政人社長(当時)自身が、日本経済新聞連載「私の履歴書」(1999年7月連載)の中でくわしく書いている。一部を紹介しよう。
 「プロジェクトを『精力的かつ強力に推進する』という言葉とは裏腹に、リーダーシップをとった三井不動産が、むしろ進行にブレーキをかけていた状況が明らかになった。江戸英雄さんの後を継いだ坪井さんは常々、『ディズニーランドなんて前世紀の遺物だ。日本人には、すぐ飽きられるよ。米国側に10%ものロイヤルティーを払って採算が合うわけがない』と言っており、消極的どころが反対派でさえあった」
 「坪井さんは自分でつぶすとまずいから、米側から断らせようというもくろみだったようだった」
 「私は、この時初めて思ったのだ。どんなにひどい妨害や邪魔が入ろうとも、私は維持でも東京ディズニーランドを造ってやろうと。たとえ相手が親会社の三井不動産であろうとも、この計画を壊そうとするものは容赦はしない、親会社をけ散らしてでも進んで行こうと」
 「千葉県知事は当時、ディズニーランド誘致を公約の一つに掲げる川上紀一さんに交代していた。(中略)もし、この時知事が納得(米ディズニー社との交渉がまとまらない場合はTDL建設をあきらめるということについての納得──引用者注)していたら、東京ディズニーランド計画はおしまいになっていたはずだ。知事は、何としてでも誘致したいと考えていたから、その結果、坪井さんが退路を断たれることになった」
 これらをみれば、オリエンタルランドの親会社である三井不動産がTDL建設にやる気がなく、土地の転売でボロ儲けを図っていたことが一目瞭然であろう。川上紀一県知事はこうした三井不動産の姿勢に激怒し、同社関係会社の許認可事務をすべてストップするという措置をとった。そのため、三井不動産が姿勢を変え、ようやくTDL建設が日の目をみることになったのである。このいきさつを、高橋政知氏はこう書いている。
 「三井不動産にとって、工事の許認可をストップされることは経営上の痛手であり、企業イメージもダウンしかねない。とてものことではないが、オリエンタルランドのことなど構ってはいられないという事態になってきた」(前出「私の履歴書」)
 つまり、当時の県知事だった川上紀一氏が断固たる措置をとったからTDLは建設が実現したのである。もし、“財界の番頭”といわれ、三井不動産など大企業の要求を百パーセント受け入れる沼田武・現知事が当時の知事だったら、おそらくTDLは建設されなかっただろう。──これは県庁関係者の見方であるが、的を射たものである。


(5) 五千万円念書事件と“川上降ろし”の謀略

 川上紀一知事は、こうした措置のほかに、前述のように、オリエンタルランドが用地の一部を県に無断で三井不動産など3社に転売したことについても売買契約を解除させた。この解除によって、三井不動産などは「買い値(計約32億円)の何倍にも価値の上がった土地を、泣く泣く元値で手放した」(朝日新聞千葉支局編『追跡・湾岸開発』、朝日新聞社)。「土地値上がり分も計算に入れると、3社は百数十億円もの大損をした」(読売新聞、81年3月1日)という。この契約解除が川上五千万円念書事件の伏線になった、といわれている〈注1〉
 同事件は、川上氏が知事選に初出馬した前年の1974年春、東京都内の不動産業「ニッタン」の深石鉄夫社長から選挙資金として現金5000万円を受け取り、代わりに「受領念書」を渡したというものである。7年後の1981年に、この念書が深石側から暴露された。暴露された念書のコピーにはこう記されていた。
 「今般、川上紀一の千葉県知事立候補について我々3名(立会人のこと−引用者注)はその当選を期す為に、本日深石鉄夫氏より多額なる選挙運動資金を賜わり有難く厚く御礼申しあげ、またこの御厚意に背ぬよう当選を期して最大限の努力をいたします。就いては、当選のあかつきは、同氏の御事業に対して我々立会人3名は全面的にその御発展の為に協力することを誓います」
 そして、あとで明らかになったことだが、本物の念書にはなかった次の文句が書きくわえられていた〈注2〉
 「私川上紀一は貴殿に対して県及び関連事業団体等のあらゆる利権について相談し、貴殿及び貴殿の御すいせんの御事業が益々御発展するよう努力することを確約いたします」
 マスコミはこの“改ざん念書”を大々的に報道した。当然のことながら、県民のなかに怒りがまきおこった。野党は臨時県議会で川上退陣を迫った。川上知事は「便宜供与はしていない」と主張しつづけたが、ついに1981年2月、真相解明がなされないまま辞任においこまれた。そして同年4月、知事選挙がおこなわれ、自民党の推す沼田武氏(川上県政のもとでは副知事)が新しい知事に当選した。
 この念書事件については、ひとつの見方として、開発利権の獲得に制約を加えられた三井不動産が念書事件を仕掛けたという説がある。三井不動産が友納県政とふかく結びつくことによって、千葉の開発で大儲けしたことはよく知られている事実である。友納氏の後を継いだ川上知事は、三井不動産の大儲けに制約をくわえた。たとえば、前述のように、三井不動産がTDL建設に否定的な姿勢を示した際、県内の同社関連の許認可事務をすべてストップした。また、オリエンタルランドがTDL用地の一部を三井不動産などに県に無断で転売したことを発見し、売買契約を解除させた。こうしたきびしい措置を受けた三井不動産が“川上降ろし”をねらって念書事件を仕組んだ、というのである。
 この見解は、それなりに根拠がある。沼田県政になって、三井不動産がふたたび県政や千葉の開発と深くむすびつき、大儲けしていることをみれば、三井不動産仕掛人説もツジツマがあうのである。

〈注1〉この点については、つぎの文献を参照。『読売新聞』84年4月14日付け。「それでも筋書き通り進行する“ディズニーランドの陰謀”」(『週刊新潮』84年4月26日号)。小川国彦「東京ディズニーランドの怪」(前出)。
〈注2〉五千万円念書が“ニセ念書”だったことは、あとでわかった。「その後、朝日新聞社は、原本のコピーを入手したが、そこには利権供与のくだりはなく、加筆されていたことがわかった」(前出『追跡・湾岸開発』)。「実は、『利権ウンヌン』の部分は、川上知事のあずかり知らぬところで書き加えられたものだった。これが川上知事追落としの謀略だったことはいうまでもない」(『週刊新潮』1984年4月26日号)。




4.土地転がしの違法性

(1)オ社への安価売却は疑問

 東京ディズニーランド(TDL)の裏側でおこなわれた土地転がしは、県民からみると重大な問題をもっている。
 まず第1に、オリエンタルランドへの県有地の格安払い下げが問題になる。すでにのべたように、県は70年から77年にかけて、同社にたいして103.4万坪の県有地を造成原価(坪1万円余)で譲渡した。東京の都心から10キロという位置からみて、この価格が時価(市場価格)よりもかなり安かったことは周知のとおりである。
 地方自治法では、公有財産(地方自治体が保有する財産)の売却は原則として「適正な対価」によることを定めている。たとえば、長野士郎著『逐条地方自治法』(学陽書房)にはこう書かれている。
 「普通地方公共団体の財産を適正な対価なくして譲渡し、又は貸し付けることも原則として禁止される。これは、財産を無償又は特に低廉な価格で譲渡し、又は貸し付けるときは、財政の運営上多大な損失を蒙り、財政破綻の原因となるのみならず、特定の者の利益のために運営が歪められることともなり、ひいては住民の負担を増嵩させ、また、地方自治を阻害する結果となる虞れがあるためである。『譲渡』とは、無償譲渡すなわち譲与と有償譲渡をいう。『適正な対価』とは、通常は当該財産が有する市場価格(時価)をいう」
したがって、企業庁による私企業(オリエンタルランド)への格安売却はたいへん問題があるといわなければならない。この点については、いろいろな学者が疑問をなげかけている。たとえば伊東光晴氏(京都大学名誉教授)は、埋立地が市場価値を大きく下回る値段(造成原価)で売られているために、「この入手をめぐって利権が発生し、政治と行政の腐敗」をもたらしている(『経済学は現実にこたえうるか』岩波書店)と指摘している。また、松田剛氏(土地問題評論家)はこう述べている。
 「海面は、そもそも国有のスペースといってもよい。埋立ては免許を受けたものができるわけであるが、地方自治体が免許権者になり、それを工事前に不動産業者に工事代金の立替えの形で、埋立地の一部を譲渡する方式などは、精神のうえでは国有財産法に、法律の形式のうえでは地方自治法違反の疑いも濃厚といえる」(『ジュリスト』臨時増刊、1971年4月10日号)
 TDL関連用地についていえば、千葉県が埋立工事代金の立て替えの形で埋立地をオリエンタルランドに譲渡する協定をむすんだのは1962年である。ところが、県が埋立免許を建設省から受けたのはその後の63年(一部は68年)、工事が完了したのは70年である。だから、まさに松田剛氏が問題にしているケースそのものである。


(2)不正をくりかえしたオ社、三井、京成

 つぎの問題は、オリエンタルランドや三井、京成が繰り返している不正行為である。主なものをあげてみよう。
  1. 住宅用地40万坪の転売は、TDLの建設資金確保のために認められた。しかし実際には、その莫大な転売利益はTDLの建設資金には少ししか回らなかった。とくに三井不動産と京成電鉄は、子会社のオリエンタルランドから23万坪を横どりし、購入価格の数倍あるいは10倍以上の値段ですべてを転売し、巨額の利益を手にした。
  2. 「分譲協定書」では、63.8万坪すべてを遊園地として利用することが明記されていた。ところが、実際に遊園地(TDL)となったのは25万坪だけという状態が長年にわたってつづいた。
  3. その遊園地用地は、県の承認なしに第三者に転売することが禁じられていた。しかし、オリエンタルランドは63.8万坪の一部(7.5万坪)をこっそりと三井、京成などに転売した。
     みられるように、オリエンタルランド、三井不動産、京成電鉄は協定違反をひんぱんに繰り返したのである。
 一方、こうした不正行為にたいして、県当局はどのように対応したか。本来であれば、きびしい制裁を加えるべきである。ところが、県はまったく制裁を加えなかった。それどころか、逆に3社の不正行為を追認した。三井、京成による住宅用地23万坪の横どりと転売については黙認したし、これらの転売利益がいったいどこへ流れているのかも追及しようとしなかった。また、遊園地として使われなかった38万坪についても、「オリエンタルランドの経営が苦しい場合には転売もやむを得ない」とした(その一部はすでに転売を認めた)。




5.TDLのルーツは船橋ヘルスセンター

(1) 船橋ヘルスセンターの裏で土地転がし

 TDLをめぐる利権の実態や本質を解明するためには、船橋ヘルスセンターとの関係を知る必要がある。TDLの生成は、船橋ヘルスセンターときわめて密接なつながりをもっているからである。ヘルスセンターをめぐる土地転がしや利権については、「埋め立て開発と利権〜ルーツは船橋ヘルスセンター」でとりあげているので、それをご覧いただきたい。要約するとつぎのとおりである。

  1.  船橋ヘルスセンターは、1955(昭和30)年、船橋市の海浜埋立地(現在の「ららぽーと」の敷地)にオープンした。東洋一の大規模レジャーランドをほこっていた同施設には、東京はもちろん全国から客が来場、1960年代の最盛期には毎年400〜500万人の入場者を数えた。
  2.  華やかなヘルスセンター・ブームの裏側で、経営企業の朝日土地興業(丹沢善利社長)は、関連用地(埋立地)の転売でボロ儲けを手にした。
  3.  まず「ヘルスセンター用地」(11万坪)をみると、埋立免許は船橋市が取得したが、じっさいにはヘルスセンターの実質的な経営企業である朝日土地興業(丹沢善利社長)が造成工事を請け負い、造成後の土地も同社が手にいれた。造成面積11万坪のうち、同社がヘルスセンター用地として実際に利用したのは9万坪である。残りの2万坪については、1万坪を漁業補償費相当分として漁民に無償で提供、もう1万坪は有償で漁民に売った。その際、造成原価は坪2300円であったのに、坪3200円で売った。朝日土地興業は、漁業補償の名のもとに900万円の利益を得た。
  4.  同社は1956年、船橋市の日の出町、栄町、西浦町の海面50万坪の埋め立てにとりくんだ。ここも埋立免許は船橋市が取得したが、造成工事や分譲は同社が手がけた。そして50万坪のうち16万坪は漁業補償費分や公共用地としてあて、残りの34万坪をそっくり同社が手にいれた。造成原価は坪3700円であった。同社はまず、34万坪のうち4万坪を千葉県開発公社へ中小企業用地として坪5400円で売り、7100万円の差益を得た。つぎに1万坪を船橋市へし尿処理場用地として坪6900円で売り、1300万円の差額を得た。残り29万坪も坪あたり平均1万円で中小企業へ売り、ざっと18億円の利益を手にいれた。
  5.  朝日土地興業がつぎに手がけた埋め立ては、ヘルスセンター地先の海面18万坪である。まず1962年、利用目的を「遊園地(ヘルスセンター)の拡張用地」として、千葉県との間に「土地造成事業および分譲に関する協定」をむすんだ。そして同協定にもとづいて、県が埋立免許を取得、朝日土地興業が工事を請け負った。造成後は、公共用地、緑地分をさしひいた残りの14万坪を同社が県から造成原価(坪あたり約1万円)で取得した。ところが、同社が協定どおりにヘルスセンター拡張用地として利用したのは、わずか4万5000坪である。残りは、3万5000坪を「株式会社よみうりランド」にオートレース場用地として売った。そして、もう6万坪を千葉県開発公社に坪2万円で売った。この公社への転売だけで、同社は5億円の利益を得た。ちなみに公社は、その後この土地を日本住宅公団へ坪2万5000円で転売した。これが、現在の若松町団地である。


(2) TDL関連用地の転売手法と同じ

 ごらんのように、ヘルスセンター関連用地の転売手法は、ディズニーランド関連用地の転売手法とそっくり同じである。裏返していえば、“大規模遊園地”を隠れみのとした土地転がしをもっと大規模に再現しようとして計画されたのが、ディズニーランド計画なのである。
 じつは、TDLの経営企業であるオリエンタルランドは、船橋ヘルスセンター関連埋立地の土地転がしで大儲けした朝日土地興業と、三井不動産、京成電鉄の3社が、ヘルスセンターを真似て1960年に設立したものである。設立の経過については、たとえば、前出『ディズニーランドの経済学』も、オリエンタルランド設立の理由について「船橋市の埋め立て地で成功していた船橋ヘルスセンターを真似て、レジャーランドでもつくろう、というのが始まりだった」と書いている。また、オリエンタルランドの元社長・高橋政知氏も、「埋立地に遊園地を造る構想は最初、川崎さん(当時の京成電鉄社長・川崎千春氏のこと−引用者注)と朝日土地興業社長の丹沢善利さんが相談したものだった」と述べている(前出「私の履歴書」)。
 つまり、最初は大規模レジャー施設の建設を名目として埋立地を取得し、あとでなしくずし的に土地を転売して巨利を得るという、ヘルスセンターの際と同じ手口をねらったものである。のちに、朝日土地興業が経営不振で三井不動産に吸収合併されたたため、三井不動産と京成電鉄がオリエンタルランドの親会社となり、主導権は三井不動産がにぎった。ちなみに、現在の出資比率は、三井不動産20.48%、京成都市開発19.79%、京成電鉄11.20%、千葉県3.29%などとなっている(1998年度)。
 ところで、高度成長期には全国に“ヘルスセンター旋風”をまきおこすほど大盛況であった船橋ヘルスセンターも、1970年代に入ると年々入場者が減少した。そしてついに77年、24年にわたる歴史をとじて閉園した。
 一方、朝日土地興業を吸収合併した三井不動産は、「株式会社船橋ヘルスセンター」(84年に「株式会社ららぽーと」と改名)を設立し、この子会社にヘルスセンターを経営させた。ヘルスセンターの閉園後は、同社はヘルスセンター跡地に東洋一の規模を誇る大規模なショッピングセンター「ららぽーと」を建設し、莫大な資産価値をもつ跡地の運用で大儲けしている。この経過はTDL関連用地の先行きを暗示しているのではないだろうか。




6.オ社のクレームで墓地・運動公園が計画変更

 オリエンタルランドのクレームや要求により、浦安市の墓地公園が計画変更になり、運動公園が形状変更を余儀なくされたことについてもふれておきたい。
 人口が急増した浦安市では、市内寺院の墓地の収容能力が限界にさしかかってきたため、運動公園をふくめた墓地公園をディズニーランド近くの埋立地(県有地)に建設する計画をたてた。1973年から県企業庁(当時は県開発庁)との間で払い下げ交渉をすすめ、1977年には払い下げ面積を8万坪とすることで合意した。計画は、8万坪の敷地に約1万基の墓地と体育館、陸上競技場、野球場、テニスコート、プールなどを設置しようとするものであった。
 ところが、県議会の承認を得ようとした直前の1984年秋、「ディズニーランドの隣に墓地をつくられてはイメージが落ちる。市に売らないように」と、オリエンタルランドが県に計画変更を申し入れたのである。県はこの申し入れをあっさりと認め、「払い下げ計画を見直したい」と方向転換した。が、市側は、「現在の予定地に建設の方針が決まったのは7年前。すでに9000万円以上もかけて基本設計も終えているのに、一企業の身勝手なクレームは、市民の切実な願いを踏みみじるものだ」として県とオリエンタルランドの双方を批判し、計画変更に応じない構えをしめした。
 そして85年12月、熊川好生・浦安市長(当時)は、「県有地の早期払い下げを求める請願」を個人名で県議会に提出した。また86年2月、市は、オリエンタルランドの姿勢を批判するとともに、墓地公園建設の必要性を訴えた異例の広報紙号外(『広報うらやす』86年2月1日号外)を市内全戸に配布した。同紙には、「イメージダウンというクレームは的はずれ」「市民の切実な願いである墓地公園にクレームをつけ、早期実現を困難にさせていることは、市民無視であり、企業の身勝手」「一企業の身勝手なクレームは、市民の切なる願いを踏みにじるもの」などと強い調子で書かれていた。市自治会連合会も、同公園の早期建設を求める署名運動をすすめ、自治会加入世帯の約84%にあたる1万9000世帯から約4万3000人近くの署名を集めて県に提出した。
 しかし、県の姿勢はまったく変わらなかった。結局、86年12月に、浦安市長は「県有地の早期払い下げを求める請願」(前出)を取り下げた。同市長は、取り下げの理由を「知事らとの話し合いも平行線で、墓地の早期実現という第一の目標が果たせなくなる。不本意だが、請願を取り下げ、用地変更の話し合いに応じることにした」(「朝日」86年12月12日)と説明した。結局、この問題は、墓地公園を移動させ、運動公園だけを建設するという市の譲歩で落ち着いたのである。
 ところが1995年になると、今度は、運動公園用地(市有地)と県有地について、第二テーマパーク「ディズニーシー」の建設を理由として用地の一部譲渡を要求した。運動公園は、すでに総合体育館など6割が完成していた。また、県有地(企業庁所有地)は、墓地公園の移転を余儀なくされたこととの関係で、県企業庁が1986年に「オリエンタルランドには売却しない」と言明し、「市民のための土地利用をおこなう」ことを市と合意していた土地である。
 これについても、県企業庁はオリエンタルランドの要求をあっさり認めた。また、市も受け入れ、運動公園を大幅に形状変更することになった。市は譲歩したが、市議会では、「公園は市民のための土地だ」「自治権の侵害で非常識」などと反対の意見も出た。また、「オ社の横暴さと市の弱腰」を訴える市民団体「市民の土地をディズニーの開発から守る会」は、「整備中の公園の形を変えろという横暴なやり方を、大半の市民はディズニーが浦安にあるメリットでみえなくなっている」(読売新聞、1996年12月12日)などと批判した。





 オリエンタルランドの要求によって、市の墓地公園と運動公園が移転や形状変更を余儀なくされたことをざっと書いたが、その中からつぎの疑問点がうかびあがってくる。
 それは、一企業の利益を無条件に優先する県と自民党の姿勢である。墓地公園についていえば、計画は1973年に市と県の間で協議がはじまり、77年に同予定地に建設することで合意していた。85年10月には、用地取得のために市が申請していた10億円の起債計画を県は許可した。そして、約9000万円を投資したボーリング調査もすんでいるのである。それなのに、単なる一企業でしかないオリエンタルランドの横やりを無条件に受け入れ、市に対して一方的に計画変更をせまるとは、まさにおどろくべきことである。しかも、浦安市の全人口の半数にあたる約4万3000人の署名もまったく無視、なのである。
 また浦安市長が県議会に提出した「県有地の早期払い下げを求める請願」は、自民党議員28人の賛同をつらねてあった。が、この請願を審議した県議会企業常任委員会では、自民党委員から「ディズニーランドの隣接地に墓地公園は不適切であり、しかも県と話し合いもせずにこうした請願を市長みずからが提出するのはズジが通らない」という意見が強く出され、請願は「継続」扱いとなり採択されなかった。
 みられるように、一企業のクレームでいとも簡単に市との約束を破る県当局、そして同じ自民党議員28人が紹介する請願なのにこれを無視する自民党県議団−−その異常な姿勢は、TDLにからむ利権政治の深さをあらわしている。




7.関連大企業は恩恵を満喫

 大企業はTDLによって大儲けしている。ひとつは、本家の米国ディズニー社である。オリエンタルランドがこの会社と特許使用料として入場料の10%、商品売り上げの5%を45年間払いつづけるという契約をむすんでいることは、すでに述べた。このほか、アブセンスフィー(派遣社員の不在補償料)などもディズニー社に支払われている。このために、100億円以上の金がディズニー社に毎年ころがりこんでいる(1996年度は110億円)。
 つぎは、ディズニーランドを“媒体”に使うことを許されたスポンサー企業(約20社)である。データは古いが、1984年3月13日付け日本経済新聞によれば、たとえば富士写真フイルムではフィルムや現像代など年間200億円の需要が生じた。明治乳業では、ディズニーのキャラクター付きアイスクリームが83年1年間だけで30億円も売れた。講談社ではディズニー関連の絵本が、プリマハムは「ディズニー・ノビッコ」がたいへん売れた、という。
 それから、銀行も大儲けをした。ディズニーランドの建設費1581億円のうち1000億円余は22の銀行からの借金であって、その借金返済に付随する金利分は年間100億円に達した(『週刊新潮』87年1月22日号)。
 しかし、なんといっても、恩恵をもっとも満喫したのは、TDL関連用地の土地転がしでボロ儲けした三井不動産である。三井不動産は、友納武人・元知事が、「きたない建物のきたないところに社長室がありまして、出てきた江戸さんは小さくでワイシャツの袖はよごれているし、ヘソは出ているし、これが三井ご一家の社長さんなのかと、私頼りない思いをいたしました」(友納武人「千葉県の将来」『京葉』第41号)と言っているように、かつては、わずか3棟の中小ビルを所有するだけの無名の不動産会社であった。それが、千葉の埋立事業を手がけることによって莫大な利益を得つづけた。そして、その利益の一部でわが国最初の超高層ビル(霞ヶ関ビル)を建設し、同社は三菱地所を追い抜いて日本一の不動産会社に急成長したのである。このことについては、江戸英雄・元三井不動産社長みずからがこう述べている。
 「昭和20年代の当社は、業態上の最大のポイントである土地確保の機会を失ったばかりか、社業全体の発展を阻まれ、全く無名の一不動産会社にすぎなかった。しかし、この二つのプロジェクト(千葉の埋立開発と超高層ビル建設−引用者注)の成功によって、業容は一変し、業界において主導的地位を占め、30年代末期からは三井グループ内においても、一躍、中枢的役割を果たすようになった」(江戸英雄『私の三井昭和史』東洋経済新報社)
 前述のように、“TDL効果”の大部分は中央大資本や米国ディズニー社にすいとられているのが実態である。他方で、地元業者をみると、TDL入園客の金は地元商店街にはわずかしか落ちていないし、さらにTDLと商店街との取引も、1カ月でわずか1000〜2000万円でしかない(朝日新聞、1984年4月14日)。地元商店街は、「すっかり当てがはずれた格好」(読売新聞、1985年1月17日)という。こうした状態は、今もおなじである。
 もちろん、TDLが地元浦安市にもたらす貢献度も大きいものがある。市のイメージアップや雇用、税収などである。税収についていえば、同社が1997年度に市に納めた固定資産税は27億8000万円、市民税は14億3000万円だったという。しかし、他方で、デメリットもある。1998年7月2日付けの毎日新聞は、つぎのように書いている。
 「浦安市の全体はTDL周辺やホテルのにぎわいとは無縁だ。『うらやましがられることはあっても、近くに住んで、良かったという実感はない』という声は少なくない。『閉園時に花火のある日はテレビの音も聞こえない。昨夏からは、風向きなどを考慮して、花火をとりやめることも多いが、ひどいもんです。交通渋滞も目につくし、ディズニー客の違法駐車が住宅街に押し寄せ、困った時期もあります』。JR京葉線舞浜駅を挟んでTDLと反対側の住宅街に住む男性会社員(46)は苦情を訴える」




8.“秘密クラブ”で特権層がぜいたく三昧

 政治家や財界人、そして行政官僚などはディズニーランドの利用について、さまざまな特権があたえられている。タダで入場できるともいわれているし、「クラブ33」という名の“秘密クラブ”もすごい。われわれはこうしたクラブが存在することを当初から知っていたが、『週刊新潮』1987年2月26日号がはじめてその存在をとりあげた。
 同誌によれば、同クラブはディズニーランドのスポンサーや関連企業関係者などが利用できる。そこでは、「銀座にあるそんじょそこらのバーも太刀打ち出来ないぐらい世界の名酒をズラリ取り揃え、おまけにワインセラーまで備えている」。「ベラボーにうまい」フランス料理を食べさせたりして、「ホテルなら1万5000円から2万円ぐらいしてもおかしくないようなコースが1万円でお釣りがくる」ともいう。キリンビール、そごう、富士写真フイルム、日本コカコーラなどのスポンサー、さらに鹿島建設、清水建設、大成建設といったゼネコン、そして日本興業銀行などの金融関係などがクラブの会員となっていて、これらのメンバーはこのクラブやディズニーランドを存分に利用している、という。企業名をみればわかるように、国民の税金で放漫経営のしりぬぐいをさせ、幹部は私財を蓄積してぬくぬくと生きているという大企業が大半である。
 この“秘密クラブ”については、作家の田中康夫氏も、週刊誌『女性自身』(1998年7月7日号)でこう書いている。
 「東京ディズニーランドの中に、開業当初からアルコールも供されていたオフィシャル・スポンサー企業向け“秘密の空間”が存在するのと似ています。得意先の重役家族を招く事で“得点”を稼ぎ、将又(はたまた)、時には永田町の政治家と財界人、更には新聞人もが一堂に会して、マジックミラー越しにエレクトロニカル・パレードを眺めながら“生臭い密談”を行ないます。『健全』が売り物な筈(はず)の東京ディズニーランドが密かに有するもう一つの“相貌(かお)”です」
 もちろん、この“秘密の空間”は、埋立地を同社に安く払い下げ、不当転売を容認している県(企業庁)の幹部や職員も、ときどき利用させてもらっている。ディズニーランド内では集合写真の撮影は禁止されているが、県企業庁の職員旅行は特別に集合写真の撮影が許されたなども、よく聞く話である。
 以上のように、ディズニーランド内ではアルコール類はいっさい禁止で、弁当の持ち込みや集合写真の撮影も禁止になっていて、一般客はそれらを順守させられている。それなのに、裏側では特権的大企業や行政官僚が“食べほうだい、飲みほうだい”などのたいへんな優遇を受け、優越感にひたっているのである。
 さいごにつけくわえると、千葉市海浜ニュータウンの稲毛地区の埋立地(130万坪)は県(企業庁)が千葉市に造成工事や分譲・処分をまかせた地区である。千葉市は、この埋立地の運用・処分で98億円の純利益を手にし、さらに時価にして約200億円の土地(4万坪)を市有財産として確保することができた。もし、同地区のように、ディズニーランド関連用地103.8万坪の造成・処分を浦安市がおこなっていたら、同市は数百億円あるいは1000億円以上の収益・資産を確実に得ることができたはずである。しかし実際には、その103.8万坪の運用・処分はオリエンタルランドや三井不動産、京成電鉄がおこない、莫大な転売利益もすべてこれらの企業が手にいれた。浦安市にもたらされている28億円の固定資産税などはそのおこぼれにすぎないと思うが、いかがであろうか。

(2000年6月)









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